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【福山市鞆の浦】趣きある町で江戸の歴史に触れる - 広島旅行記

鞆の浦は江戸時代の町並みや建造物が現存する魅力的な港町です。 歴史的な寺社や町家などがコンパクトな町の中に点在するので、効率良く徒歩観光できます。

太田家住宅

太田家住宅は伝統的な薬味酒である「保命酒(ほうめいしゅ)」を江戸時代より製造販売してきた蔵元です。

歴史的建造物であることから、建物は国の重要文化財に指定されています。 見学のため訪れたところ、ちょうどお店の人が玄関前の引き上げ式の蔀戸(しとみど)を上げる準備をしていました。

とてもサービス精神旺盛な方で、「一緒に上げてみますか?」と声をかけてくれて・・・

ちょっとおもしろい経験でした。

案内の方は、中に入った後も熱心に建物内の説明をしてくれました。 入口から入ってすぐ、市松模様の土間も見所の1つです。

説明を聞いた後は、自由に座敷に上がり建物内を見学できます。

店の間
玄関の間
上の間

かなりの部屋数があり、裕福な商家であったことがよくわかります。

炊事場
釜屋
トイレ
中庭
保命酒蔵入口

広々とした大蔵の中には、保命酒を貯蔵する古備前の甕が並んでいました。

太田家住宅は戦争の影響も受けておらず、江戸中期から明治にかけて栄えた商家の暮らしぶりが良くわかる興味深いものでした。

福山市鞆の浦歴史民俗資料館

鞆の浦の4か所の施設をお得に周れる史跡めぐりクーポンを購入していたので、 鞆の浦歴史民俗資料館に行ってみることにしました。

建物は鞆城跡の高台にあるため、がんばって長~い階段を上って行きます!!

とーーっても疲れたけど・・・階段上の鞆城跡展望地からは素晴らしい絶景~♪

広々とした鞆城山公園の中には宮城道雄先生像がありました。

お正月によく聞く「春の海」を作曲された方だそうです。

福山市鞆の浦歴史民俗資料館は高台の鞆城山公園内にあります。 福山市制70周年を記念して造られたそうです。

歴史資料や、お手火神事・お弓神事などに関する民俗資料などが常設展示されているということです。 結構奥に広く立派な建物です。

でも、残念ながら内部の撮影はロビーまで。

展示物は・・・うぅーん、、、

史跡めぐりクーポンを持っていたので行ってみたものの、予想してた通り、ちょっと興味が持てなかったかな・・・

でも、高台からの眺望は素晴らしかったです!

見学後は、別ルートで歴史民俗資料館駐車場方向に降りて行きました。

ちょうど突き当りに見えたのは鞆の津の商家です。

こちらの主屋は江戸時代末期に建てられた商家で、土・日・祝日のみ無料で見学できるそうです。 歴史民俗資料館より むしろこちらの方が興味深く、見学できなかったのが残念でした。

龍馬の隠れ部屋 桝屋清右衛門宅

坂本龍馬らが結成した海援隊のいろは丸が大坂に向かっていた際、長崎に向かっていた紀州藩の明光丸と衝突し沈没してしまいます。

この沈没事件後の交渉のため、龍馬らが宿泊したのが桝屋清右衛門宅です。

県道沿いにある南側玄関です

建物内を見学する入口は、建物西側の方にあります。

龍馬が実際に身を潜めていた隠れ部屋!これはぜひ見学しないと!

建物内に入り、ルートに沿って奥に進みました。

階段を上ると隠し部屋があります。 でも、この階段は見学用に後から取り付けられたそうで、当時はなかったものです。

階段の近くから天井を見ると一か所だけ開いているところがあり、そこから隠し部屋に出入りしていたそうです!

すごい!

階段の上から見た隠し部屋への入口。横の梯子は実際の上り下りに使われていたものでしょうか。。

そして、奥には6畳の隠し部屋。

実際に龍馬がここに潜んでいた・・って、感慨深い!!

壁は幕末当時のまま・・ってことは、龍馬が触れたり、もたれたりしてた箇所もあるはずよね!

机の上には龍馬が京都 寺田屋の女将お登勢に宛てた手紙が置かれていました。 いろは丸の沈没事件のため京都には行けなくなってしまい、長崎に引き返すことが書かれているようです。

複製とはいえ、実際に鞆の浦で龍馬が書いたものと思うと感無量!

隠れ部屋を見学した後は、奥の和室などを通り抜け、出口へと向かいました。

不測かつ突発的な事故により数日間を鞆の浦で過ごすことになった龍馬ですが、 この隠れ部屋においても賠償交渉を優位に進めるため案を練り上げていたのでしょうか。

激動の時代を生きた坂本龍馬の息遣いが感じられるような場所を訪れ、 とても印象に残る旅となりました。

鞆の浦 観光マップ

(青ライン:実際に歩いた散策ルート)

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