カウナス(Kaunas)は、1920年から20年間 首都として位置づけられました。 ポーランドの侵攻・支配により、ビリニュスが首都としての機能を失っていたためです。 そして、日本領事館もその間はカウナスに置かれることになりました。
旧日本領事館(Sugihara house)
外交官の杉原千畝は、第二次世界大戦中 この日本領事館に勤務し、 ナチスの迫害から逃れるために押し寄せたユダヤ人を救うために 六千人の命のビザを書き続けました。 その功績から彼は、「東洋のシンドラー」と呼ばれています。
旧日本領事館 外観
旧日本領事館は、現在 Sugihara houseと呼ばれる記念館として保存されており、 当時の執務室の様子などをみることができます。
さて、この旧日本領事館、外壁のひび割れ、屋根・階段の傷みなど建物の老朽化が進み、 存続も危うい状態に。 この修繕工事に関わったのが何と日本の塗装職人たち! 修繕プロジェクトを立ち上げ、補修費用として集めた寄付金は400万。 現地業者に屋根や壁の補修工事を依頼し、 60人もの職人がボランティアで旧日本領事館の塗装作業を行ったのです。
私が訪れたのは、この修復作業が行われた後。 ピカピカの杉原ハウスに入ることができました。 門には、「希望の門・命のビザ」と書かれています。
旧日本領事館 館内
建物の中に入ると、まずビデオの視聴室に入り、杉原千畝に関する20分ほどのビデオを見ます。 そして、隣のメインの部屋へ。そこは杉原千畝の執務室を再現したもの。 執務机の上には、子供たちの写真とともに 杉原千畝の写真が置かれています。 窓際には千羽鶴が置かれていました。
奥に回ると、タイプライターやペン類が当時と同じように置かれているのを見ることができます。 そして、手書きのビザの複製などは実際に手に取って見ることもできます。
1940年夏、この窓の向こうにはドイツから逃れ、 命からがらリトアニアにたどり着いた多くのユダヤ人たちがひしめきあっていました。 彼らが杉原千畝に求めたのは、彼らが生き延びるための命のビザ。
ナチスの強権政治が吹き荒れていた当時のヨーロッパでは、 ユダヤ人に対する迫害はひどくなるばかり。 逃げ場が無くなっていた彼らが生き延びるためには、 日本の通過ビザを使い、カリブ海にあるオランダ領 キュラソー島に向かうしかなかったのです。
戦時中の政府の意向に反し、自らが処分されかねない状況の中、 多くのユダヤ人を助けるために命のビザを書き続けた杉原千畝。 彼の勇気や博愛の精神により、六千人もの命を救うことができたのです。 もう一つの部屋には、彼の功績や日常の様子が写真と一緒に掲示されています。
旧日本領事館は小さな一軒家で、高級住宅街の中に溶け込むように建っています。 日本人から圧倒的な支持を得ており、日本からのツアーでは必ず訪れるであろうこの場所も、 雪景色の中、私たちのツアー客以外は人通りが全く無く、ひっそりとしていました。
テレビの特集や映画などで、杉原千畝と、彼の偉大な功績を知って、 ここカウナスの旧日本領事館は、ぜひ訪れたいとずっと思っていました。
少し残念だったのは、周遊ツアーのため見学する時間が限られていたこと。 訪問時間の前半はビデオを見て、残りは慌ただしく各部屋を見たのですが、 もっとゆっくりと滞在したかったです。
杉原千畝の足跡を伝える貴重な資料が保管されているカウナスの旧日本領事館。 ぜひ、書籍や映画で杉原千畝について頭に入れてから訪れたいところだと思います。
カウナス旧市街の観光マップ
縮小すると、ビリニュス等の位置を確認できます。