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【ポンペイ遺跡】 古代ローマの繁栄と市民の暮らしを今に伝える遺跡群 - イタリア旅行記

ポンペイ(Pompei)は、イタリア南部に位置する古代ローマ都市です。 北にヴェスヴィオ山、 西にナポリ湾を望み、温暖な気候と肥沃な土壌に恵まれ商業や農業が発展した豊かな街でした。

そこでの暮らしを一瞬にして崩壊させたのが西暦79年に起きたヴェスヴィオ火山の大噴火です。

ポンペイ遺跡 - 見所

火山灰に覆われたポンペイは忘れ去られた存在となっていましたが、長い年月を経て18世紀に発掘が始まったそうです。 当時の整備された街並み、人々の生活や文化に触れることができる貴重な文化遺産となっています。

ポンペイ遺跡は広大な敷地を誇るため、見学箇所を絞っておく必要があります。 ツアーで訪れた私は、もちろん遺跡内をばっちし熟知している現地ガイドさんと一緒。説明を聞きながら効率よく回ることができました。

グランデ劇場

グランデ劇場(Teatro Grande)は何千人もの観客を収容できる大劇場です。 階段を上ると半円形の観客席や舞台を眺めることができ、圧巻の規模や当時の文化水準の高さに感動しました。

スタビアーネ浴場

スタビアーネ浴場(Terme Stabiane)は紀元前2世紀ごろに造られ、ポンペイで最も古い公衆浴場の一つです。

柱廊に囲まれた前庭はかなり広く、運動や社交の場として利用されていたようです。

浴場は非常に大きく、当時の姿をほぼ留めています。 壁面には色彩豊かなフレスコ画が施されていたようで、現在もその一部を確認することができました。

天井のモザイク模様も大変美しく見ごたえありました。

床下暖房の機能なども備えていたとか。高度な技術を持っていた古代ローマの文明には驚かされます。

蛇の壁画

ポンペイ遺跡では蛇の壁画がたくさん見られるそうです。 スタビアーネ浴場から道なりに北に向かうと、ゆるやかなカーブの壁面にも蛇が描かれていました。

鮮やかな色の中に蛇が登場しており、言われなければ そのまま見過ごしそうでした。 蛇は幸福を招く象徴とされていたそうです。

ルパナーレ(娼婦の館)

蛇の壁画からすぐ先にはルパナーレ(Lupanare di Pompei)と呼ばれる建物があります。 ここは娼婦の館、いわゆる売春宿だったそうです。

2階建てで、1階、2階にそれぞれ5部屋ずつあったそうです。 それぞれの部屋の中には冷たく固い石造りのベッドがあり、なんとも物悲しい雰囲気でした。

そして注目は壁面に残されたフレスコ画です。男女の生々しいシーンの絵ですが、2000年以上前の物とは思えない色彩で綺麗に残されていました。

アッボンダンツァ通り

アッボンダンツァ通り(Via dell’Abbondanza)はポンペイ遺跡の主要な大通りの一つで、東西に伸びています。 通りに沿って市民の邸宅やお店などが並び、綺麗に街が整備されていた様子がよくわかります。

通りには飛び石が設置されている場所がありました。 雨による浸水時でも、歩行者が安全かつ快適に道路を横断できるよう工夫されていたのですね。

一方、飛び石の間隔は馬車の車輪幅に合わせて設計されており、スムーズに通行できるようになっていました。 当時の高い技術力と、生活への細やかな配慮には驚かされました。

通りのあちこちには、日常生活に欠かせない水を汲むことができる石造りの共同水飲み場がありました。 水が流れ出る口の部分にはさまざまな表情の顔が彫られていて、ついつい写真を撮り集めました。

これらの水飲み場は、市民にとって非常に重要な役割を果たしており、改めてポンペイがいかに素晴らしい都市であったかがうかがえます。

イノシシの家

アッボンダンツァ通りをフォロに向かって西方向に歩いて行くと、道沿いにイノシシの家(Casa del Cinghiale)がありました。

立派な邸宅で、入口には美しいモザイク画が描かれています。

下の写真ではわかりにくいのですが、イノシシが犬に襲われているシーンだそうです。 実際に目の前で見ると、細かなタイルの配置や色彩の美しさに驚かされました。

フォロ(公共広場)

イノシシの家からさらに西へ進むと、ポンペイの中心であるフォロ(Foro)にたどり着きます。 フォロのエリアには多くの重要な建物が立ち並び、政治・宗教・商業の中心として機能していたそうです。

背後には雄大なヴェスヴィオ山がそびえ立ち、素晴らしい景観を作り出していました。

フォロの南方向には、神話上の生き物である半人半馬のケンタウロス像(Centauro di Igor Mitoraj)が見られました。

設置されたのは1990年代で比較的新しい作品だそうですが、青空を背に堂々と立つ姿は迫力があり印象に残りました。

ジュピター神殿(ユピテル神殿)

フォロの北方向にあるのは紀元前2世紀頃に建てられたジュピター神殿(Temple of Jupiter)です。

ジュピター(ユピテル)を祀っており、重要な儀式や政治的決定が行われる場であったようです。 現在は柱や土台の一部が残るのみですが、ヴェスヴィオ山と共に佇む姿は歴史の重みを感じさせるものでした。

ジュピター神殿の両側にはローマの権威を象徴する凱旋門がありました。

左側にあるのはアウグストゥス帝の凱旋門(Arco di Augusto)です。

古代ローマの繁栄を示す建造物で、初代皇帝アウグストゥスの権威の象徴として建てられたそうです。

右側にあるのはネロ帝の凱旋門(Arco di Nerone)です。

ネロ帝といえば暴君で知られていますが、彼の治世では公共建築の整備が勧められ市民生活の向上も見られたようです。 この凱旋門は古代ローマの権威と繁栄を示す象徴の一つで、栄光のアーチとも呼ばれています。

その奥にはカリギュラ帝の凱旋門(Arco di Caligola)があります。

ネロ帝の凱旋門とよく似た感じでシンプルな造りでしたが、これもカリギュラ帝の権威を象徴する建造物だったと思われます。

マルケム(市場)

ジュピター神殿の東方向にはマルケム(Macellum)と呼ばれる市場跡があります。

ここでは市民の食材などが売られる店が並び、賑わいを見せていたようです。

中央には円形に柱が並んでおり、ここには魚を扱う建物があったということです。

フロントーネの家

マルケムの北西方向の角に位置するのはフロントーネの家(Casa del Frontone)です。

壁面には保存状態の良い美しいフレスコ画が残されており、当時の華やかな装飾を見ることができます。

そして、ここには大きなガラスケースが2つ置かれており、その中には火山灰に埋もれた人々の姿を石膏で復元した遺体が収められていました。

そばでじっくりと眺めると、突然の悲劇に襲われた彼らの苦悩や苦しみが生々しく伝わってきました。 こんなふうに最後の姿が復元されたことによって当時の状況を知る手がかりとなり、火山噴火の恐ろしさを改めて実感しました。

フォロ浴場

ネロ帝凱旋門を通り抜け更に北に進むと、左手にあるのはフォロ浴場(Terme del Foro)です。

紀元前1世紀に造られ、装飾や彫刻の保存状態もよく、当時の豪華な雰囲気を感じることができます。

冷水で体を引き締めるための冷浴室には、2000年も前に造られたと思えないような美しく装飾された大理石製水盤が置かれていました。 当時の贅沢な生活水準がうかがわれ、改めて古代ローマの文化や技術の高さに驚かされました。

悲劇詩人の家

フォロ浴場と通りを挟んで北側には悲劇詩人の家(Casa del Poeta Tragico)があります。

広々とした邸宅で、美しいフレスコ画が残されているのが印象的でした。

共用キッチン(テルモポリウム)

周辺にあったのは共用キッチン(Thermopolium)です。 ファストフード店のような存在で、ポンペイの街のあちらこちらに点在していたようです。

カウンターには大きな壺が埋め込まれ、その中に煮込み料理やスープ、ワインなどが入れられ、温かいまま提供されていたそうです。 まるで現代のスタイルのお店が、2000年以上前のポンペイにも存在していたとは驚きでした。

パン焼き釜の家

ポンペイには数十軒のパン屋があったそうで、パン焼き釜の家(Casa del Forno)などが発掘されています。

下の写真の右側にあるのは石臼で、当時も現代と同じように小麦を挽くために使われていたそうです。 一方、左側にあるのはレンガ造りの大きな釜戸で、ここでパンが焼かれたようです。

市民の食生活が大変豊かであったことがうかがわれ、大変興味深かったです。

アポロ神殿

再びフォロに戻ってきて、西方向 出口に向かう途中に見かけたのはアポロ神殿(Tempio di Apollo)です。

ポンペイで最も古い神殿の一つで、紀元前6世紀頃造られたそうです。 建物全体は崩壊していますが、列柱の一部が立ち並び、大理石の祭壇も残されています。

左側には狩猟の女神ディアナ像、神殿の右には弓を構えた姿の太陽神アポロ像が置かれていました。 これらの像はレプリカで、オリジナルの彫像はナポリ考古学博物館に収蔵されているそうです。

ポンペイ遺跡には2回訪れましたが、散策ルートは全く違っており、今回新たに見学できた場所もありました。

広大な遺跡は一度では回りきれないほど見どころが多く、まだまだ立ち寄りたいスポットがたくさんあります。 歴史の重みを肌で感じることができ、興味が尽きることのない素晴らしい遺跡群だと改めて実感しました。

ポンペイ遺跡 観光マップ

黄緑ライン:アッボンダンツァ通り
ピンクライン:実際に歩いた散策ルート