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【三井寺 - 長等山園城寺】歴史を動かした偉人達に思いを馳せる境内散策 - 滋賀旅行記

琵琶湖ホテルを拠点に、翌日はホテルからほど近い距離の三井寺に立ち寄ることにしました。

三井寺は琵琶湖南西部に位置し、1200年以上の歴史をもつ由緒正しい寺院です。

三井寺(長等山園城寺) - 天台寺門宗総本山

三井寺の正式名称は長等山園城寺で、天台寺門宗の総本山です。

天智、天武、持統天皇の産湯として使った霊泉が境内にあることから御井の寺と呼ばれ、 それが三井寺と呼ばれる由来になったそうです。

国宝、重要文化財など広大な境内には見所が多く、1000本を超えると言われる桜が咲き誇るシーズンには多くの参拝客で賑わいます。

三井寺 - 見所

仁王門(大門)

三井寺の表門である仁王門は元々湖南市にある常楽寺の門であったそうです。 その後、豊臣秀吉が伏見城に移し、更に徳川家康が三井寺に寄進したという歴史があるんだとか。歴史を知ってから眺めるとひと際興味深いです。

両脇には2体の仁王像

仁王門手前には境内案内図が掲げられていました。めっちゃ広い !!

そして、案内図には桜の見所を示すイラストがたーくさん ! 桜のシーズンにはちょっと早かったのが残念でした。

食堂(釈迦堂)

境内に入りまず右手に見えるのは、釈迦如来を祀っている食堂(釈迦堂)です。

室町時代に建立され、御所清涼殿より移築されたものだそうです。

緑豊かな境内をゆっくり奥に向かって歩いて行きました。

石段を上っていくと、金堂が見えてきました。

金堂(本堂)

三井寺の本堂である金堂は7世紀に創建 され、現在の建物は豊臣秀吉の妻北政所によって1599年に再建されたものです。

金堂は桃山時代の代表的な建物として国宝に指定されています。

入母屋造りの建物は見る角度によってそれぞれ雰囲気が異なり、美しい外観です。

金堂の真ん前には無名指灯篭と呼ばれる堂前灯篭があります。

天智天皇は大化の改新で蘇我一族を滅ぼした罪障消滅のため、自ら左薬指を切り灯篭台座下に埋めたと伝えられているそうです。 本当とは思えないような話だけど、どうなんでしょう…

鐘楼(三井の晩鐘)

金堂のすぐ近くには重要文化財の鐘楼があり、梵鐘は、「三井の晩鐘」として知られています。

三井の晩鐘の響きは美しく、日本三銘鐘の一つに数えられているそうです。 冥加料800円…ですが、一突きして鐘の響きを聞くと幸福がもたらされ、災厄をのがれてすみやかに楽土にいたるとのこと。

三井寺の鐘といえば、釣鐘弁慶と異名をとった弁慶によって奪い取られた引きずり鐘が知られていますが、 この鐘は、その後の跡継ぎとして1602年鋳造されたものだそうです。

一切経蔵

一切経蔵は山口市国清寺から毛利輝元によって寄進されたものだそうです。 建物内には回転式の八角輪蔵があります。

唐院四脚門

敷地内を南方向に歩いて行くと、敷石の両側に灯篭が建ち並び、その先には門が見えました。

これは唐院四脚門で、唐院の正門になります。

唐院潅頂堂

唐院四脚門をくぐると、三井寺のなかで最も清浄な聖域である唐院があります。 大師堂の前に建つ唐院潅頂堂は、大師堂拝殿として、また密教の奥義を伝える伝法潅頂の道場として再建されたそうです。

三重塔

三重塔は元々奈良県にある比蘇寺(世尊寺)の東塔であったそうです。 その後、仁王門同様に豊臣秀吉が伏見城に移し、更に徳川家康が三井寺に寄進したということです。

その時代の権力者により、これほどの建築物が移築を繰り返してきた歴史があったんですね。

三井寺を訪れて

本来その日は比叡山延暦寺を訪れる予定でしたが、朝から霧がたちこめるあいにくの天候で急遽近場の三井寺に変更しました。 このため、三井寺についての前知識がほとんどなく、後から調べるとまだまだ見所があったのに見落としているところがたくさんありました。

三井寺の歴史は古く、天智、天武、持統天皇などの他にも紫式部、藤原道長、豊臣秀吉、徳川家康…と歴史上の人物がたくさん関わっていることに驚きました。 再度、日本史の流れを振り返りたくなるような寺院でした。

琵琶湖周辺にはたくさん観光スポットがあるので、ぜひまたこの地を訪れて三井寺にもリベンジ参拝したいなと思っています。

三井寺へのアクセス

住所:滋賀県大津市園城寺町246

公共交通機関 最寄り駅

  • 京阪三井寺駅より 徒歩約7分
  • JR大津京駅より 徒歩約17分

自動車 最寄りインター

  • 大津 IC より 約3 km

三井寺周辺マップ

縮小すると、最寄り駅や最寄りインターを確認できます

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